のだめカンタービレの最終話のコンサートシーンで、役者達が非常に生々しい表情で演奏をしているのを観たときに感じた異様な違和感と、それを上回る力で放射される異常なまでの高揚した物語感はなんだったんだろうと考える。
あの時、あきらかに役者達は「役柄の持つべき感情」と「自分自身の感情」を混同していて、それらを一緒くたに出してしまうことに躊躇っていなかったようだ。しかもカメラはそれを包み隠さず、まるで厳かなドキュメンタリーのようにそのままの形で視聴者に見せることを選んでいたのは驚きである。
これはドラマ作りの基本に完全に違反しているはずなのだが、1話から順を追ってみている視聴者には、出演者達はストーリー上の体験とかなり本質的に近いものを体験してきたことが判っている。
だから、1話より少しづつ出演者(≒現実)は本来あるべき物語(≒キャラクター)に肉薄していき、最後の最後でついに、「物語(≒キャラクター)が出演者に歩み寄り、ここに現出した」のではないかと錯覚、理解する。
この感覚は4話のSオケ初披露の音が鳴る直前の張り詰めた空気や、10話のコンクールでのだめが喝采を受けている時など、話が進むごとに時折(それは常に舞台の上で)、少しづつはっきりと姿を現していたように感じるがどうだろうか。
いずれにしてもドラマが原作を凌駕した、魔法のような瞬間であった。
音楽が事実上の主役で常に敬意を払われているドラマなど、ああいう枠には2度と現れないのではないだろうか。
とにかく、製作関係者の方々には、深く敬意を表したい。