おぼえがき

なんとなくチラシの裏にでも書いてろ的な事を書き留めて置きたくなったので書いて置く。多分数年経ったら自分が面白く読めるから。
2000年頃から2004年頭まで聴く音楽の9割方がテクノだった訳で その中の5割がミニマルテクノに類するものであり あと2割がSquarepusherのような変態高速ドラムンで残りがテックハウスやエレクトロニカ類であった。普通それまでに聴いてきた音楽の経験の蓄積で音の捉え方の方向性みたいなのが出てくると思うが 自分の場合ここで一番得たのは数分〜半日程度の長いスパンで見た音楽のダイナミズムみたいな物だと思う。切り口を見ただけでは恐ろしく単調な反復がずっと繰り返されて変容していき 全体を俯瞰すると大きく形作られている風景への客観的な評価。それからリズムの変化と音色自体に対する執着みたいなもの。テクノはあまりメロディー、コードや歌詞がないからひたすらリズムと音色、ゆっくりとしたダイナミズムの変化という要素に長時間神経を集中させる事になる。
あとはフジロックに2000年から行きだしたのが大きい。もう一種の人生上の大事故だ。行く度に頭を強くバールのようなもので殴打されて帰ってくる。ちなみに2004年度のフジ大惨事はペインキラーを筆頭に想い出波止場、ギャズ・メイオールのパーティーmoe.だ。
1998年〜2000年前半は主にインダストリアルロック、ガレージ系への傾倒だった。ここでは多分 カフェイン錠剤と酒を交互に飲んでギターノイズに浸る悪癖が身に付いた 笑
1994年〜1998年頃は立花ハジメ坂本龍一マイケル・ナイマンルナシー(後期除く)とBUCK-TICKが自分ブームだった。筋肉少女帯はオールタイムフェイバリットで。戸川純も聴いていたが正直同族嫌悪みたいなもので入り込めなかった 多分好きなんだけど。最近友達が填ってしきりに勧めてくるのだがなかなかまた引っ張り出してきづらい。今ならもっと客観的に聴けるだろうか。後に出てきた近い路線の椎名林檎はそこまでアレじゃなかったので好きになれた。
1990年〜1993年はまず第一に合唱部がある。元から歌うのは大好きだったが かなり限界までやった感じで勉学は全然しなくなった 笑
何故か皆 変拍子だらけのトリッキーな歌を歌うのが好きだったが コンクールの課題曲でよく出てきたラテン語純正律な宗教曲も大変面白かった。全員が神経を研ぎ澄ませてびっちり合うと、一切の余計な音のうねりが消え 色んな声質が一体になった和音が生まれてゾクゾクする。そしてたまに現れる意図的な不協和音の素晴らしさといったらない。勘定の合わない音同士がぶつかり合ってはじきとばされたパワーのようなものがばしばしと胸を叩くのが心地よいのだ。しかしあの頃関西地区及び全国大会に君臨していた淀川工業高校のグリーは今どうしてんだろうなあ。強烈なキャラクターの先生とか。大会の度に越えなくてはならないけど越えられっこ無い強敵の存在だったが 正直彼らが歌うのを聴くのが楽しみだったので負けても全然どうでもよかった。
女声合唱団にも強豪がいたのだが こっちは音が揃いすぎて何の面白みもなくて心底どうでも良かった。採点受けだけはするみたいな。マスゲーム見てるみたいな。どことはいいませんが。ああいうのがコンクールで受ける流れって今も続いてるのかね。
1987〜1989年は吹奏楽部でtubaをやっていた。コントラバスを購入するのでそれが入るまでの約束でtubaを不本意ながら割り当てられたのだが結局チューバで固定になった。要するに音楽の教師に騙された訳だがそれなりに楽しかった。 しかし 中学生ででかいチューバをハードケースに入れて毎週のように講習だステージだマーチングだと遠征に行くのは本当に地獄で音楽室が4Fの端にあるというのも追い討ちだった。おかげで背筋の測定数値がまもなくえらいことになった。しかしここで肺活量を増やしたのと音程をきっちりチューニングする感覚をつかんだおかげで次の合唱部に役立った。
この中高時代はプライベートでは所謂当時流行のエピックソニー系と筋肉少女帯にどっぷりであった。バンドブーム真っ盛りの時代でもある。特に筋少の与えた性格・思想への影響は計り知れず ここらへんから人生間違った方向に邁進し始めていたのかもしれない。
それ以前は小学校時代ほぼクラシック漬けであった。たまたまなにかの百科事典の付録で数枚あったレコードを引っ張り出してきて何度も聴いていたので親が気を利かせてクラシック全集みたいなCD集を40枚程セットで買ってもらったのだが…これがもう親に禁止令が出るくらい聴きまくった。 その入り込み方がもう尋常じゃない 周りに倣う所のない子供だから。どうやって聴いているかというと もう縦ノリというか 完璧に音に同調し切っていて聴いている間は一切周りの事が感知できない。今思い出してもちょっと怖くなるくらい入り込んでいて あの没入の仕方は今はもう難しいんじゃないかなと残念にさえ思える。多分自分はここで音楽の展開や音の感覚をなんとなく植え込まれてしまったようだ。だから映像に音をつける必要があってとりあえず自分で曲を作った時、どうしてもあの全集に一番入っていた要素、つまりバロック音楽的なコード展開やメロの傾向みたいなものが勝手に出てきてしまったりする。もうこれがなかなかとり払えない。ちゃんと理詰めに音楽の構造を勉強したらこういうものはどうにかできるのだろうか