とりとめない話

ええと 当ブログ(とやら)は文章に関しましてはリンクフリー転載フリーです一応 晒し上等こちとら無知の恥なんて去年辺りに捨てて来たぜ! でも一応なんらか一声かけてくれるとベター…です…



ここまでやったけどたぶん描き直す 画材はフォトショ+ペンタブ

日がな一日絵を描いて過ごし 疲れたら仕事の図案を描き 飽きたら溜まっていたHDD録画のPV整理。あー今日洗濯するの忘れた。「12人の優しい日本人」のDVD返却期限も過ぎてしまう。
ここ数年ほったらかしにしていたELPのベストを引っ張り出して来て聴く 大槻ケンヂオールナイトニッポンのCMの余り時間みたいなスペースには結構色々ELPの代表曲みたいなのがかかっていた 当時好きだったバロックなオルガン曲みたいな 宗教的大袈裟反復展開が多用されているロックがあることにいたく感銘を覚えたのを思い出す 冷蔵庫にいれ忘れていた500mlビールを呑んでみるが全然酔えなくて微妙 肝臓が強すぎるのか
コルトレーンのGiant Stepsを聴いていたらある日 急に脳に1枚の視界が浮かんで 気に入ったので描いてみているのだが 部分的に曖昧な部分があってそこは色々な主張がまじってしまいどうもうまくいかない。別にその画はGiant Stepsをそのまま絵にした感じではなくて自分の中に常駐している部分から出て来たものっぽいのでどんな画かはいつでも思い出せるのだが。ほんと疲れた。所で最近描いているような絵はしっかり心の目で見えているのをそのまま描いている感じなので抽象画ではないと思う。いうなれば宮沢賢治の言葉を借りるなら詩を作っているのではなく心の中で観たものをそのまま書き出している心象スケッチみたいなものかもしれないな
最近珍しくテンションが落ちないない代わりに 妙に緊張して生きている感じがする 何をするにしても 取り敢えず生きるか死ぬかだという気分になる 別にそれでいいような気もするが まああれだ 三十路前だからそういう気分になるのかな 笑 乾いた岩石の剥き出しになっている白い砂漠のまん中に立っている気分だ ああそうか そういう絵が描きたいのかね

「私○○のファンなんです」という言葉は良く聞くし自分も昔は良く言っていたが 最近は何故かそういう事を言うのが憚られる感じがする
ファンという響きにはとりあえずそのアーチストのやることなすこと好きなんです という盲目さがあるような気がするからだ。だから最近猛烈に色々聴き始めていてこのダイヤリーにもよく書いている 所謂?中央線界隈で活動するジャンル不定のアーチストの方々に関しても簡単に「ファン」と明言する事が出来ない。 ジャズ系もそうだ ひたすら保留。もっともっと沢山のライブや作品を聴かなくてはならない。最初期の作品から最新に至るまで 別名義からゲスト作品まで色んな時に何回も聴いてみなくてはならない気がする 要するに実に財布が寒い今日この頃です 笑
そういう意味ではこのアーチストが自信を持って好きだ。ファンだと盲目的にも断言できるのはAphextwinだけかも なんか意外だな


追記:全然このページのおとなり日記とやらがおとなりじゃないのに吃驚だ どこに目つけてんだ いやそんなにピッタリなおとなりがあっても困るな